2022年2月– date –
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歴史
段山の慰霊祭
段山の薩軍戦死者慰霊塔 段山付近の戦闘の跡(青潮社 戦袍日記写真集より) 西南戦争の熊本城総攻撃で藤崎台段山(だにやま)は熊本城攻略の拠点であったので、両軍は激しい争奪戦を展開した。この戦いは、籠城戦最大の激戦といわれ、近くを流れる井芹川... -
歴史
延寿寺の慰霊祭
慰霊碑(奥)と戦没者名碑(左手前) 大正5年以来、慰霊祭は毎年熊本三州会によって、先の戦争中も中断することなく続けられた。 現在も毎年4月の第2日曜日に碑前において盛大に挙行されており、平成27年には第100回を記念して、埋葬者828名の氏名を記し... -
歴史
薩州墓と三州会の発足
延寿寺の薩州墓に埋葬されていた遺骨の多くはその後遺族の手により郷里に持ち帰られた。しかし明治22年、西郷隆盛が罪を許された後も故郷に帰らず苔むす遺骨が10数余柱残されており、墓地も荒廃していた。 そこで、熊本在住三州(薩摩・大隅・日向)出身の... -
歴史
延寿寺と西南戦争
明治10年の西南戦争で、2月20日に川尻へ到着した薩軍は延寿寺に本営並びに野戦病院を置き、22日熊本城総攻撃を開始した。 しかし、城兵善く防ぎ持久戦となり、24日主力は北上を開始し、田原坂の戦いなどを迎える。 これらの戦いの死傷者は川尻に運ばれて来... -
歴史
延寿寺
熊本市南区川尻町の延寿寺は、天台宗比叡山延暦寺の末寺で無動山延寿寺と称します。 建久8(1198)年川尻三郎実明公が建立し、快智法印の開基とあります。その後、800余年連綿と続いた当寺の住職は第37世蔵原恒海氏でしたが、令和5年1月に亡くなられまし...
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