西南戦争の熊本城総攻撃で藤崎台段山(だにやま)は熊本城攻略の拠点であったので、両軍は激しい争奪戦を展開した。この戦いは、籠城戦最大の激戦といわれ、近くを流れる井芹川は血で染まったという。
時は移り、昭和50年段山地区井芹川改修工事で川底より薩軍兵士の遺骨が発掘された。
そこで、昭和52年西南戦争100周年記念行事として、熊本三州会により井芹川左岸に慰霊塔が建立された。
毎年11月10日に塔前において岳林寺工藤住職お導きの下、三州会有志により慰霊祭が行われている。
西南戦争の熊本城総攻撃で藤崎台段山(だにやま)は熊本城攻略の拠点であったので、両軍は激しい争奪戦を展開した。この戦いは、籠城戦最大の激戦といわれ、近くを流れる井芹川は血で染まったという。
時は移り、昭和50年段山地区井芹川改修工事で川底より薩軍兵士の遺骨が発掘された。
そこで、昭和52年西南戦争100周年記念行事として、熊本三州会により井芹川左岸に慰霊塔が建立された。
毎年11月10日に塔前において岳林寺工藤住職お導きの下、三州会有志により慰霊祭が行われている。