延寿寺と西南戦争

明治10年の西南戦争で、2月20日に川尻へ到着した薩軍は延寿寺に本営並びに野戦病院を置き、22日熊本城総攻撃を開始した。

しかし、城兵善く防ぎ持久戦となり、24日主力は北上を開始し、田原坂の戦いなどを迎える。

これらの戦いの死傷者は川尻に運ばれて来たが、後難を恐れてどの寺も埋葬地の提供を逡巡した。

その中、延寿寺の住職30世伝弘応師は、「たとえ賊名をこうむっても、死者を成仏させ供養するのが僧の務め」と寺領の一部を提供し、戦死者の姓名、場所、月日を記して丁重に埋葬すること853名に及んだ。

川尻の人々は当時、この埋葬地を薩州墓と親しく呼んだ。今でも毎年慰霊祭当日には、延寿寺山門近くの町内の方々は、西南戦争戦没者を偲び玄関策に国旗を掲げる。

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