延寿寺の薩州墓に埋葬されていた遺骨の多くはその後遺族の手により郷里に持ち帰られた。しかし明治22年、西郷隆盛が罪を許された後も故郷に帰らず苔むす遺骨が10数余柱残されており、墓地も荒廃していた。
そこで、熊本在住三州(薩摩・大隅・日向)出身の方々が組織を立ち上げ、醵金を募った。
東郷平八郎ほか多くの人がこれに応じ、延寿寺境内に「西南役薩軍戦没者墓碑」を建立し、大正5年6月4日盛大に落成式兼第一回招魂祭を挙行した。
これが熊本三州会の始まりである。
延寿寺の薩州墓に埋葬されていた遺骨の多くはその後遺族の手により郷里に持ち帰られた。しかし明治22年、西郷隆盛が罪を許された後も故郷に帰らず苔むす遺骨が10数余柱残されており、墓地も荒廃していた。
そこで、熊本在住三州(薩摩・大隅・日向)出身の方々が組織を立ち上げ、醵金を募った。
東郷平八郎ほか多くの人がこれに応じ、延寿寺境内に「西南役薩軍戦没者墓碑」を建立し、大正5年6月4日盛大に落成式兼第一回招魂祭を挙行した。
これが熊本三州会の始まりである。