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お知らせ
熊本三州会会則を一部改正しました
令和8年6月14日 一部改正を行いました。 熊本三州会会則 -
西郷隆盛
西郷隆盛に関すること
西郷隆盛の性格、人となり(その1) 西郷は若いころから、自分が正しいと思えば、相手が誰でも、ずけずけと意見を述べるタイプだったようだ。頑固で場の雰囲気も気にしないため、周りから煙たがられ、そのせいか、18歳から勤めた藩の役所では、10年間も昇... -
西郷隆盛
西郷隆盛とその時代
要約 西郷隆盛は、薩摩藩の下級武士であったが、当代一の開明派大名であった藩主の島津斉彬(なりあきら)の目にとまり抜擢され、斉彬の手足となって活動する中で強い影響を受けた。斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される。その後復帰するが、藩主忠義の... -
活動報告
第107回西南の役薩軍戦没者慰霊祭を開催しました
令和4年4月10(日) 午前10時より第107回西南の役薩軍戦没者慰霊祭を川 尻延寿寺境内慰霊碑前にて開催致しました。 当日は晴天に恵まれ、延寿寺境内にはまだ幾らか桜も残っており、穏やかな日和のなかでの慰霊祭となりました。 今年も昨年に引き続き新... -
お知らせ
ホームページを公開しました。
この度、熊本三州会のホームページを開設いたしました。これから活動報告やお知らせを随時発信してまいります。今後ともよろしくお願い致します。 -
歴史
段山の慰霊祭
段山の薩軍戦死者慰霊塔 段山付近の戦闘の跡(青潮社 戦袍日記写真集より) 西南戦争の熊本城総攻撃で藤崎台段山(だにやま)は熊本城攻略の拠点であったので、両軍は激しい争奪戦を展開した。この戦いは、籠城戦最大の激戦といわれ、近くを流れる井芹川... -
歴史
延寿寺の慰霊祭
慰霊碑(奥)と戦没者名碑(左手前) 大正5年以来、慰霊祭は毎年熊本三州会によって、先の戦争中も中断することなく続けられた。 現在も毎年4月の第2日曜日に碑前において盛大に挙行されており、平成27年には第100回を記念して、埋葬者828名の氏名を記し... -
歴史
薩州墓と三州会の発足
延寿寺の薩州墓に埋葬されていた遺骨の多くはその後遺族の手により郷里に持ち帰られた。しかし明治22年、西郷隆盛が罪を許された後も故郷に帰らず苔むす遺骨が10数余柱残されており、墓地も荒廃していた。 そこで、熊本在住三州(薩摩・大隅・日向)出身の... -
歴史
延寿寺と西南戦争
明治10年の西南戦争で、2月20日に川尻へ到着した薩軍は延寿寺に本営並びに野戦病院を置き、22日熊本城総攻撃を開始した。 しかし、城兵善く防ぎ持久戦となり、24日主力は北上を開始し、田原坂の戦いなどを迎える。 これらの戦いの死傷者は川尻に運ばれて来... -
歴史
延寿寺
熊本市南区川尻町の延寿寺は、天台宗比叡山延暦寺の末寺で無動山延寿寺と称します。 建久8(1198)年川尻三郎実明公が建立し、快智法印の開基とあります。その後、800余年連綿と続いた当寺の住職は第37世蔵原恒海氏でしたが、令和5年1月に亡くなられまし...
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